インフルエンザ・高熱で弱い自分と向き合う

 

実は10/2(月)あたりから疲労なのか?体がだるいなぁ~と思いつつ過ごしていたら、10/4朝目覚めたらなんと39度の発熱が!コロナ検査は陰性でしたが、どうやらインフルエンザにかかったようで...

10/4は前々から楽しみにしていた主催のランチ会を主催の私が当日キャンセルという緊急事態に!!本当に残念でなりませんでした。二日間は、ただ寝ていることぐらいしか出来ず...寝てても辛い。

 

弱い自分が出てくると色々な思いが巡ります。

例えば

◎健康である事のありがたみがより深く分かる

◎病気の人の気持ちが痛いほど分かる

◎元々健康に過信してしまう傾向があり、健康じゃない自分をジャッジしている(自己否定)に気づく

 

 

身動き取れない、苦しい現実を創って、小さな私に何を気づかせてくれているんだろうか?とか、ひたすら内観して、そんな自分にずっと寄り添って休んでいました。

そしたら、やっぱり色々なもの(気づき・感覚変化)が出てきました。

そのうちの一つは、かなり大きなメッセージだと感じたので、ブログでシェアしようと思います。

 

お友達を通じて受け取ったご先祖様からのメッセージ

 

先日、お友達と東京へ向かう新幹線の中で突然彼女がこんなことを聞いてきました。

(かなりスピリチュアルなお友達で、ふとメッセージを受け取ったそうです)

 

「ご先祖様で、神事に関わってた人っている?ご先祖様から護られているよね!」

 

なんと!YES!!

私の父方の曽祖父は、三重県志摩の真珠の養殖が盛んだった「船越村」という所で生まれ、たくさんの海女さんたちと共に、真珠の養殖から全国へ真珠を販売するという「北村真珠店」を営まれていました。

 

その前に戦争も経験され、柔道練習中に痛めた身体によって現役免除となった後は、生まれた土地の神職となり「八雲神社」というところで約7年間、神明奉仕されていた時期があったそうです。

昭和11年の記録によると、曽祖父の産土神である「船越神社」というところへ、鳥居と石燈籠二基を寄付されたそうです。曽祖父の名前「北村善吉」と共に、今でも多くの人たちの目に止まる存在なのです。

 

伊勢志摩経済新聞の記事「志摩市大王町・船越神社で遷座祭」(2021.10.19)の鳥居が写っている画像を探してみると...

うっすらと曽祖父「北村善吉」さんの名前が見えて感激

https://iseshima.keizai.biz/photoflash/12005/

 

曽祖父とは会った事ないのですが、実は曽祖父が北村家子孫のために残しておきたいと綴られた本に事細かく書かれていて。

5年前に父が亡くなってから、その奇跡の記録本を、私の手元で保管することになり、しばらく本棚にしまい込んでいましたが、昨日ふと思い出して曽祖父の功績に想いを馳せていました。

 

近いうちに曽祖父の軌跡を辿るために、生まれた土地・船越神社・八雲神社等を訪問して、ご先祖様に感謝を伝えてこようと思います。

さて、その曽祖父が残した本の最後の「感謝の生ひ立」の部分はきっと全ての人が、生まれたルーツを思い出すキッカケ・メッセージになるかもしれない、と思い一部を抜粋してシェアします。

 

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私は常に感謝して生活している。

私は貧しき一貧農の家に育ったものである。けれども慈悲深き両親の恵みによって

人となる事ができた。感謝せずには一日も居られない。

どんな貧しい中でも親は私共三人の兄弟に国民としての教養は附けて下さった。

私共の育つ頃の家計はどんなにか苦しかった事であろうと

今となって想像するだに、眼頭が熱くなるのを覚えるほどである。

常に父親は訓された。『正しく生きよ』と。

正義のために働け、と人生には苦労は附ものである。

苦労のない人生は又楽しみもないと、この厳しい父親の躾と

何時もやさしい母親の慰めによって育ってきた私は

日常生活を感謝して過ごしている。

感激の中に生活している。

生ひ立ちの一端を記録して子女の戒めとして残しておきたい親心からである。

 

~ 中略 ~

 

憶ふに自分の今日あるは、両親の恩恵と生を享けたる郷土の賜と深く深く

感謝しつつ、この眞念を以って日常の業務の上に、将又 生活の上に実践して

愉快に生活しつつある。

還暦に達したりと不屈不撓の精神を以って、邦家の為、益々その業務に微力を

捧げて余生をおくりたいと望んでやまい、これは私個人の意志であるばかりでなく

北村家子孫の為にも是非遺しておきたいものであると念願しこの一文を綴って本歌集の

巻末記としたい。

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以上 時空を超えて曽祖父の想いをしっかりと受け取らせて頂きました。