禅の学び
去年の春ぐらいからご縁あって
京都のお寺へ月イチの頻度で「禅」を学びに行っています。
今月の学びの内容が、私にとって、もの凄く衝撃的で、
且つ 腑に落ちた感覚を覚えたので
早速、自分自身の記録も兼ねて投稿します。
『禅』の学びは、時間にして約3時間半程度なのですが
今回ばかりは、その時間の感覚をはるかに超える
膨大な情報量(エネルギー)でした!
時空を超えた情報も含めて一気にダウンロードさせてもらえたような
すごい気づきを得た感覚でした。
『好事も無きには如かず』
その中でも特に、ある禅語に、ハッ!とさせられ
今日はそれをシェアしますね
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『好事も無きには如かず』
(こうじも なきには しかず)
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意味は、「どんな良いことも、無い方が良い」
え!?∑(゜Д゜)
良いことが多い方がいいに決まってるじゃん!?
と、多くの人は思いがちですよね...
(はい!私もそうです 笑)
この意味を深く掘り下げると
私たちは、好事(良い事)があれば、そのことに執着しがち。
執着すれば、さらに、もっと!もっと!!と良い事を求めるようになる。
例えば、
沢山のお金を手に入れれば、それが手放せなくなる。
贅沢な暮らしに慣れると、質素な暮らしには戻りたくない。
手に入れたものを守るのに必死になって、一人で焦ったり
周りの人との関係が、ギクシャクすることも・・・
あなたの周りにも、思い当たる人、居ませんか?!
純粋な理由で◎◎を始めたはずなのに、
お金や成功に執着しすぎて、本来の目的を見失ってしまっているような人。
お世話になった人たちの恩も忘れて、簡単に切り捨ててしまうような人。
『好事も無きには如かず』とは
良いことを求めるがゆえに、心がとらわれ、執着のもとになるくらいなら、
いっそ捨ててしまったほうが良い、という教え。
「良いこと」だけを拾い、「悪いこと」を避けて
生きることは残念ながら出来ないですよね(^^;
そもそもの話、
出来事に対する良い・悪いは
自分や、世間が作り上げた観念・信念
というフィルターを通して、評価しているだけなんですよね。
観自在菩薩の本当の意味
現実世界で起こる出来事は、変えることはできない。
変えられるのは、その出来事を自分自身が
どう観るか?どう捉えるか?どう解釈するか?
誰もが辛い・嫌だ、と思う病気も
実は、その人本来の生き方に軌道修正するためのメッセージ
だったりします。
ニュートラルな視点に立って、出来事や人物を
ありとあらゆる視点から観察し、
ただそのままを受容する(受け入れる)ことができれば...
とても心穏やかに世界になりますよね
般若心経(お経)の始まりは
「観自在菩薩・・・」
自由自在に観る・観察する菩薩様のような心で世界を観る
私の大好きな言葉です( ´∀`)
今日の禅語のシェアが少しでも参考になれば幸いです。